昭和平成の事件簿

最近、数十年前のニュース映像や新聞・週刊誌の記事をネットで検索して見る事が多くなりました。主に昭和~平成前期の事件の記事や当時のニュース映像を見ています。私がI0代~20代だった頃の時代ですが、当時は自分の生活の事にばかり気を取られ、世の中のちょっとした変化や世相を反映したような事件などは殆どスルーしていた状態でした。特に事件のニュースなどは当然ながら陰惨な内容で読んでいて憂鬱な気分になりますから、生活が不安定だった若い頃はマイナス要素の影響を受けたくないという気持ちが強かったように思います。あまり関心を持ちたくないし深堀りして考えたくない、とりあえず世間で話題になっている重大事件だけには目を通しておこうという感じでした。1995年の地下鉄サリン事件や2000年年末の世田谷一家殺人事件などはかなり衝撃的な大事件だったのでよく覚えていますが、そうした大きな事件以外は流し見程度で詳細についても殆ど覚えていません。中年以降になると多少は精神的に余裕が出て来たことやネットの出現もあって扱いの小さな事件にも目を留めるようになりましたが。昔の事件では昭和後期の暴力団抗争や連続殺人事件、未成年による殺傷事件などが気になってネットで事件当時の古い記事や事件についての考察サイトを見たりしています。昭和から平成にかけての時期は暴力団抗争の動きが自立ち、対暴力団の法整備も不十分で警察も対応しきれず、一般市民も暴力団に怯えて生活しているような状況だったように思います。私自身が直接トラブルに巻き込まれる事は無かったのですが、様々な噂を聞いたりニュースで見聞きしたりしていたので日常生活にもどこか危機感や緊張感が漂っていました。また、当時は暴力団を美化したような映画等もヒットしていて、暴力団・反社会的勢力を肯定するような雰囲気もありました。当時は警察よりも弁護士の方が有効な手段を講じてくれるという認識が世間一般にあったような気がします。ボランティアで無償で被害者救済に尽力する弁護士も多く、その為当時は弁護士に憧れて法律家を志す若者が多かった。その流れは今も受け継がれていると思います。その後法的整備が進んで警察による反社会的勢力の取り締まりが強化され、国民が感じていた不安もかなり解消されましたが・・。しかしその暴力団・反社会的勢力規制についても世界的な犯罪組織撲滅の流れに促されたもので、日本が自力で展開した印象は薄かったように思います。セクハラや児童ポルノ問題についても日本の対策は世界の最後尾で、特に児童ポルノについては世界中から非難されて漸く法整備に着手しました。以前にブログ内でも書きましたが、日本が思考停止している部分が表出している気がします。民主主義や人権についての思考力が根付いていない、世界からの圧力が無くなれば直ぐに過去に逆行してしまう可能性があるのではないかという不安があります。先日も関西の大手食品会社社長を射殺した犯人が暴力団組員だったと判明し、大きなニュースになっていました。昭和のあの不穏な空気を思い出して暗い気持ちになりましたね。世界情勢や日本の経済状況によっては昭和時代のように反社会的勢力の力が様々な形で再び強まる事があるかもしれない。そして近年の世界情勢や日本経済はそうした事態を招く条件を備えているような気がします。もしかしたら・・そういう不安がどこかにあるから昭和~平成初期の事件が気になるのかもしれません。時代が後戻りすることは無いと信じたいのですが・・。