グラスの中の水

 昔、ユダヤ人の古い風刺話を読んだ事があるのですが・・ある町で、祭りの時に皆で飲む葡萄酒(ぶどう酒)を用意しておこうということになった。そこで、皆が自分の葡萄酒を持ち寄って1つの樽に入れ、樽は満杯になった。そして祭りの日、樽の中の葡萄酒を皆で飲もうとしたところ、樽の中に入っていたのは葡萄酒ではなく水だった・・という寓話です。全員が葡萄酒ではなく水を樽に入れたわけです。自分1人が水を入れたとしても誰にもバレないだろうと考えて。昔の職場の上役が飲み会の時に「自分が稼がなくても、誰かが海外で稼いでくれてるから大丈夫!」と言っていましたが、その時上役が呑んでいたビールも今は水に変わっているかもしれません。1日中殆ど何もせずデスクで秘書と競馬の話をしたり通販カタログを見ていたような人ですから確かに稼いでいませんでしたが、それでも月収は100万近く貰っているらしいという噂でした。もしかしたら一見遊んでいるように見えて、その実何か大きな仕事をして会社に貢献しているのでは・・とも思ったのですが、秘書課の人達はそれを完全否定してましたからね・・。当時は現在のようなリストラも殆ど無く、サラリーマンは絶対的な年功序列で守られていて、左遷はされてもクビにはならずに定年まで養って貰えていた時代でした。一部の優秀なグローバル化したメーカーが世界で稼いで日本を豊かにし、稼がない人々を養っているという図式は今も殆ど変わっ ていません。が、今はそのメーカーが海外で稼げなくなりつつあり、優秀な技術者や将来性のある会社が海外に拠点を移してしまうケースも増えてきています。海外で稼げないことが問題なのではなく、誰かが稼いでくれる、という思考に陥ってしまうことで様々な問題が生じてくるのではないかと思いますが・・まあ、それは日本だけではなく世界共通の課題ですが。