引きこもる中高年世代

30~60代の生産稼働世代の人々が仕事をせずに自宅等に長期間引き籠もっているケースが多く、その状態が「中高年の引き籠もり」として世間一般から問題視されているようです。ただ、引き籠もりとされる人々の多くは仕事はしないものの簡単な家事や買い物など自身の身の回りの世話は自分でしており高齢の父母の介護をしている事も多いようです。そうなると生活状態としては専業主婦(主夫)とあまり変わらないのではという気がします。ただ専業主婦は経済的に余裕が無くなれば仕事に就く意志と能力があると思われますし子供からの支援も期待出来ますが、引き籠もりの人の場合は扶養してくれる親が亡くなった後に仕事に就かない、就けずに困窮して餓死や自殺に至ってしまうリスクが高く、その多くは福祉機関の支援を得て生活保護に移行します。行政から見た場合、同じ様な無職の生活スタイルでも引き籠もりの人々の方が問題とされてしまうのは仕方の無い事だと思います。ただ専業主婦(主夫)に対する行政・世間の認識も厳しくなってきており、専業主婦を優遇した形の年金3号制度の廃止や各種の配偶者控除が間もなく廃止される見込みとなっています。また遺族年金制度も将来的に廃止あるいは大幅に減額される可能性が高く、そうなると厚生年金に加入していなかった主婦(主夫)は配偶者の死後は少額の国民年金のみか、あるいは国民年金に僅かに上乗せしただけの受給額となり、生活に困窮して生活保護に頼らざるを得ないというケースが増えるでしょう。無職期間が長かった為に年金が少ない人は老後に税金で養わなければならないという場合が多いので働かない人々、特に中高年の引き籠もりに対する国民の危機感、問題意識は年々高まっています。

個人的に、引き籠もっている人々については、特に老父母と同居して扶養して貰っている中年男女については同世代でもあるので色々と同情してしまう部分もありますが、もういいトシですから他人が色々言わなくても本人が一番自己分析して現状を理解していると思います。精神障害発達障害が原因の場合も多いと思いますが、職種や勤務形態が多様化した現代において自分の適性や性格に合った仕事が見つけられない筈は無いとも思います。少なくとも短時間のアルバイトくらいは出来るのではないかと思いますが、しかし働く事が辛いというのであれば無理に働く必要は無いのではないかと思います。ただ出来れば自身が病気になった場合や死後の後始末、終活について考えて準備して欲しいとは思います。私も今終活に備えて色々と検討しています。明治以前、欧米の社会制度を導入する以前から引き籠もりの人々は多かったと思いますが、それが問題視される事は殆ど無かった。徳川幕政下では生活保護制度のような公的扶助制度が整備されておらず、自分達が納めた税で互いを支え合うという社会保険の概念が無かったからです。身寄りが無く働かずに収入が無い人は餓死か病死で遺体も長期間放置という場合が多かった。日本は世界情勢次第ではそうした時代に素早く戻ってしまうような封建的な縦社会の素地を持ち脆弱な経済基盤の上に成立している社会ですから、中高年世代の人々は公的福祉に頼って逃げ切れても、若い世代は将来逃げ場が無いかもしれない。なので若年世代には生活保護等の福祉制度は永続的なものではないという認識を持って働く事の是非を考えて欲しいと思いますね。ただ、労働環境が酷い場合や自分に合わない職場で無理をして働けとは言えません。それを強制する事は精神的な売春を強要する事に等しいと思うからです。就職は自発的に自分で選んだ仕事に就くという過程を経るべきだと思いますね。また、中高年世代は出来るだけ多く社会保険料や税金を払い若い世代の負担を減らす義務を負っていると思います。

 

 

長岡京廃都

本日は2月4日で立春ですが、季節が移り変わる時期が昔とは異なる現在では2月はまだ肌寒い晩冬という感じがします。3月に入れば春の気配が漂ってくると思いますが。 ブログは休止中だったのですが、歴史に関する記事をちょっと書いてみようかなと思い更新しました。 私は京都出身ではありませんが、数十年前に京都の長岡京の史跡を訪れた際に長岡京の歴史や遺跡発掘の経緯に興味を持ち当時の歴史を色々と調べていた時期がありました。今も途切れ途切れに勉強してはいるのですが。長岡京を題材にした脚本を書いてコンクールに応募した事もありました。長岡京桓武天皇が784年に奈良(大和国)の平城京から現在の京都(山城国)に初めて移した首都で、現在の向日市及び長岡京市の地に築かれました。が、種々の政治的・地政学的要因や地形や河川による自然災害等によって10年ほどで廃都が決定し、長岡京から程近い葛野の地に再遷都が行われました。桓武天皇はその新都を平安京と名付けました。それが現在の京都です。長岡京が廃された理由については政治的・心情的・地理的といった多様な視点から多くの説が唱えられており、歴史学の専門家の意見を集約すると「地形的に高低差が大きく築都に向いておらず、洪水等の被害が甚大であった為」「長岡京において桓武天皇の同母弟の早良親王が謀叛の罪を問われた末に急死し、それによる祟りを怖れた桓武天皇が心機一転を図って新しい都を造ろうとした為」という2点の理由に絞られるようです。(桓武天皇の当時の側近の藤原種継が暗殺され、その首謀者として天皇の同母弟の早良親王が捕らえられ天皇に対する謀叛の疑いをかけられました。早良親王は無実を訴えて断食し流刑地に護送される途中で死去) 

当時の様子を伝える史料や伝聞・伝承が乏しい為、長岡京廃都の理由・経緯については上記の2つの定説以外にも様々な角度から多くの仮説や推論を展開出来る余地があり、そこに魅力を感じる歴史ファンも多いようです。

長岡京は10年という短い期間の都だった為にその正確な位置が分からず遺跡・出土品といった物証も殆ど無かったのですが、1950年代に地元の歴史研究家である中山修一氏の発掘調査によって初めて当時の遺構や遺跡が確認され、実在する都であった事が立証されました。向日市の辺りに都があったらしいという事は古代から伝わっており歴史書にも記載されています。しかし歴史学の体系的な研究・検証といった活動は近代に入ってから本格化したものなので、長岡京は近代以前は「幻の都」と呼ばれ、その実在が確認される事も無く半ば忘れ去られようとしていました。長岡京市には中山氏の記念会館があり、長岡京の遺跡発掘と長年にわたる調査研究の功績を伝える展示品 を見学する事が出来ます。中山氏の業績が無ければ長岡京の遺跡も土中に埋没したまま忘れ去られ、世間が長岡京の存在を認知する事も無かったでしょう。遺跡発掘調査は場所によっては実施する事が困難である場合が多いのですが、長岡京の遺跡も向日市長岡京市の繁華街の中にあったので遺跡発掘調査は土地の所有者や不動産開発業者との交渉・調整が大変で難航した様ですし、遺跡調査域と私鉄の線路が重なる部分等もあり、その点でも様々な困難が生じていた様です。向日市の文化資料館には長岡京の遺跡発掘の調査記録や出土品のレプリカ、朝堂院や大極殿の復元模型、当時の人々の衣食住を再現した品々が展示されています。庶民の質素な低カロリー過ぎる食膳や現代の一般庶民の献立に近い感じの役人の食膳、貴族の豪華すぎる食膳なども食品サンプルで再現展示されています。ただ、資料館はいつ行ってもほぼ無人で貸し切り状態であり、関心を持つ人が少ない事が窺える点が少し残念でした。立派な造りの資料館で展示物も中々見応えがあるのに・・歴史好きの方には是非一度立ち寄って頂きたいと思いますね。また、向日市長岡京市京都市長岡京平安京の違いについても調べてみると色々と興味深い点があると思うので、是非その辺りにも注目して頂けたらと思います。

ブログ休止について

暫くの間ブログを休止致しします                              仕事や趣味の執筆活動で忙しく、ブログを書く時間が中々確保出来ない為です。        数ヶ月休止した後に再開したいと思っています。

4月頃までは寒暖差が大きく体調を崩しやすい時期ですので、皆様もどうか健康に留意なさってお過ごし下さい。

賀正 2024年

明けましておめでとうございます。

本年が皆様にとって良い年となりますようお祈り申し上げます。昨年は当ブログを御覧頂き誠に有り難うございました。

本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

昨年の元日は北朝鮮日本海に向けてミサイルを発射するなど不穏な空気の中で1年がスタートしましたが、今年は元日の夕方4時過ぎに北陸の石川県能登震度7を超える地震が発生し、北陸地域の広い範囲で家屋の倒壊・火災、停電、道路の陥没等の被害が出ている様です。元日という事で多くの家庭で帰省した家族が滞在中だった為、人数が多く避難しづらい場合もあるようです。国や自治体は被災した住民の避難所の確保や今後の生活支援について速やかに対応して欲しいと思います。火災で焼け落ちてゆく住宅街の映像を見ると、とにかく家を失った人達に早く住居を、と思います。被害状況の詳細と国の対応についての続報を待ちたいと思います。

 

大晦日

本日は大晦日です・・今年も慌ただしく1年が過ぎて行ったような感じですが、今年は親族間で棚上げにしていた課題が幾つか解決出来ましたし、兄弟姉妹に次々と孫が生まれたりと、世代交代や老後に向けての準備が進んでいると実感出来た1年でもありました。

私もそろそろ高齢になってきているので、今年一杯で現職を退職して田舎に引っ越す予定を立てていたのですが、職場も人手不足ですし私も経済的な不安があるという事で予定を変更し来年以降も引き続き勤務する事になりました。体力的に不安な部分もあるのですが・・。

話は変わりますが、現在自己出版に向けての原稿を書いているのですが、そちらに時間を取られてブログの更新が間遠になってきている感じです。(出版予定の書物はジャンル的には論文・評論系です) 今後は月に1度程度の更新になるかもしれません。が、明日の元日は更新する予定です。

今年も当ブログをお読み頂き有り難うございました。どうか良いお年をお迎え下さい。

ネットカフェ

最初にネカフェ(ネットカフェ)を利用したのは20年近く前ですが、当時の利用頻度は年に数回程度で、現在は年に1回行くか行かないかという程度です。もういい歳なので会員登録を抹消して退会しようと思っているのですが、でもまぁ暇潰しや気分転換にはなるので退会手続きを急ぐ必要は無いかなとも思い、引き続き利用継続中です。私が利用しているのは某大手の一社だけで、地元のチェーン店数店舗を利用しています。基本的なサービス内容は最初の頃とあまり変わっていませんね。料金はかなり値上がりしましたが。PCやスマホを持っているのになぜネカフェ?と言われそうですが、普段とは違う非日常な雰囲気は良い分転換になるので・・ネットカフェの雰囲気はちょっとナイトクラブ系のような独特の雰囲気があり、ホテルや旅館のような寛いだ空気感もあり、外界と遮断された不思議な空間で、その雰囲気にお金を払っているという感じですね。ネットカフェは簡易宿泊施設というイメージもありますが業種としては「娯楽業」に分類され「旅館業」ではない。宿泊に必要な寝具などを提供していないからという事のようです。逆に言うと寝具を提供してしまうと旅館業と見なされ、旅館業に必要な様々な条件をクリアしなければならなくなる。なので私が利用しているチェーン店も法的基準に従い寝具である毛布や枕などは提供していません。膝掛け用サイズの毛布のみを店内で貸し出しているという感じですね。十数年前には住居を確保出来ずネットカフェで暮らしているネットカフェ難民が社会問題として大きく取り上げられていました。派遣や日雇い等の不安定な労働環境やマンションやアパートと契約する際に保証人がいないので住居を確保出来ないといった問題が国会等で俎上に載せられるようになってきたのもネカフェ難民問題の影響によるものが大きかったと思います。現在もネットカフェで暮らしている人は都内で4000人前後いると見られています。

ネットカフェで提供されているコンテンツとしては会員のみが視聴出来る特別企画動画や映画やドラマの配信特集等がありますが、映画・ドラマはВ・C級作品が中心、店舗イチ推しのアニメやオンラインゲーム、人気ユーチューバー動画といった中高生・若年世代向けコンテンツが豊富な印象です。店内にはマンガや雑誌・新聞(電子書籍ではない紙印刷のもの)が数多く取り揃えられていて無料で読み放題です。昭和時代から令和の人気漫画まで幅広い品揃えなので漫画好きの人なら至福の時間を過ごせるかもしれません。私はオンラインゲームやYoutuber動画に興味は無いしマンガやエンタメ系雑誌は殆ど読まないので恩恵をあまり感じられないのが残念ですが。なので本当にお店の雰囲気を楽しむだけという感じです。ドリンクやアイスクリーム無料は嬉しいサービスですが、私の場合滞在時間が短いので(3時間程度)コーヒー1~2杯程度です。料金は3時間で1500円程度だったと思います。3時間で1500円というのは結構贅沢な暇潰しだと思いますね。なので薄給の私にとっては値上がりする度に敷居が高くなって行く感じがします。料金体系は3時間パックや6時間(約2500円)・12時間(約4500円)パック等で、深夜帯は割安になっています。店内で一泊という形だと首都圏でも約4000円程度。私も過去2回ほど泊まってみた事がありますが、当時は個室では無かったので当然空調(エアコン)のコントロールが出来ず、夏場でも深夜帯は寒かったです。窓が無いので昼夜が分からず時間の感覚が掴めない。店内はどの時間帯も非常に静かで、この点は利用した店舗全てに共通していました。仕切りだけの大部屋状態(?)だったので音は筒抜けの筈ですし客も多いのに無音に近い状態でしたね。一種独特のチームワークで皆で静寂を守っている感じで逆にちょっと緊張感がありましたね、特に深夜帯は。正直、帰る自宅があるのなら一晩中ここで過ごす必要はあまり無いと思ったし、ここで毎晩過ごすのは仕方なく、やむを得ずという状況の場合だけだろうと思いました。それは鍵付き個室の場合でも同様です。客層は20代~中高年の男性中心ですが若い女性、中年世代の女性もチラホラ見かけます。中学・高校生も利用可能ですが未成年なので法的な規制もあり、中学生は午後8時まで、高校生は午後10時までの利用となっている店舗が多いようです。ただ、私が見た限りでは中高生はあまり見かけません。時間経過で課金されて行くので中高生のお小遣いでは長居出来ないし、店内は食べ物の持ち込み禁止ですから何か食べたい場合は店内でオーダ一しなければなりません。そうなると基本使用金料+外食費となり、3時間滞在してパスタをオーダ一したら地方の店舗でも1人あたり2000円前後はかかります。ファミレスなら1人600円程度のオーダ一で長時間席を利用できる事もあるので当然10代の学生はそちらに流れて行きます。店内システムについては数年前から受付と精算が完全にセルフレジ方式になったので利用し易くなったと思いましたね。更に、昔は板で仕切られていただけの客席スペースがオプションによっては個室を利用出来るようになっており、入退室もカードキーで出入りするシステムに刷新されています(全席ではなくオプションにより一部提供されているサービスです)  以前の安っぽい雑な造りがネカフェの魅力だと思っていたのでその進化にちょっと驚きつつもやはり個室の方が防犯やコロナ対策といった点で安心して利用出来る気がします。

というわけでネットカフェについての取り留めのないムダ話になってしまいましたが、最後までお読み頂き有り難うございました。

中東紛争

中東紛争が再燃中です。パレスチナ紛争については私が子供の頃からよくニュースで見ていましたが、何十年経っても全く状況が変わっていませんね。イスラム教徒とユダヤ教徒が聖地エルサレムを巡って延々と不毛な戦闘を繰り広げています。中東紛争については複雑な国際情勢や数千年に及ぶユダヤ民族の歴史、19~20世紀のイギリスの外交政策キリスト教イスラム教の成り立ちや対立の歴史、オスマントルコと欧州との関係等といった事柄についての知識が無いと正確に理解するのは難しいと言われていますが・・。なのでこの記事も、中東紛争の背景をある程度理解している方が読んでいるという前提で書かせて頂く事にします。基本的には、ユダヤ人&英米仏がパレスチナエルサレムに住んでいたイスラム教徒を追い出してユダヤ国家(イスラエル)を建国したわけですが・・。当然世界中の20億人ものイスラム教徒がテロを含めた激しい抗議活動を行い、その結果イスラエル内にイスラム教徒の自治区を設けてユダヤ人と共存するという和平案が国連等の仲介で実現したのですが(パレスチナ自治区及びガザ地区)・・しかしイスラム教徒の中には、元々はアラブ人・イスラム教徒が長年住んでいたパレスチナ、その中にあるイスラム教の聖地でもあるエルサレムを奪ったユダヤ国家を滅ぼそうという集団が多数存在しており、その中でも最も勢力のある過激派グループのハマスが10月7日にイスラエル領内に数千発のミサイル攻撃を行い事実上の戦争状態に突入しました。イスラエル軍も直ちに応戦し戦闘が激化、パレスチナイスラエル双方で数千人の犠牲者が出ており、特にガザ地区での被害が大きい・・という状況です。イスラエル建国については19世紀に世界各地で植民地政策を展開していた欧州・キリスト教諸国が強引に後押ししていた経緯もあるので、それに対する元植民地の国々の反発もあり、現状ではパレスチナ側に同情している国の方が少し多いかなという状況の様です。背景にはキリスト教ユダヤ教徒イスラム教の対立構造もあるのでキリスト教諸国としてはイスラム教徒に聖地エルサレムを渡したくないという思いもあるでしょう。(エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教の3つの宗教の聖地とされています)11世紀~13世紀にキリスト教徒が聖地エルサレムイスラム教徒から奪還する為に十字軍を結成して遠征を行った歴史もありますから、キリスト教と源流を共にするユダヤ教徒支配下にある方がまだマシだという感じではないかと思いますが・・。パレスチナ&ガザ自治区は国家としての独立を目指しており国際社会の承認を求めていますが、当然ながらイスラエルとその支援者の欧米は承認していません。

日本は中立的立場を維持しており欧米は製造者責任(?)もあるので当然イスラエル支持、ロシアと中国は基本的には中立、アフリカ諸国は(特に北部は)パレスチナ寄り、アジア・南米諸国の多くは中立あるいは立場を明確にせずといった状況のようです。最終的には少なくとも聖地エルサレムを特定の国が所有権を持てない人類共有の財産としてイスラエルパレスチナから切り離し、国連とエルサレム周辺諸国によって共同管理するしかないのでは・・とも思いますし、そうした提案をする専門家もいるようです。実際にイスラエル建国直前の1947年にはエルサレムはどの国にも帰属せず国連の管理下に置くという取り決めが国際会議で採択されたのですが、その後1967年にイスラエルエルサレム全域を武力で占領し自国の首都だと宣言してしまいます。しかし国際社会とパレスチナイスラム教諸国はそれを認めず、従って現在もイスラエルの首都は国際的には存在していないという事になります。なので各国は(勿論日本も)大使館をエルサレムに置いていません。エルサレムを首都として占領し続けるイスラエルとそれを認めない国際社会とパレスチナイスラム教諸国という関係が現在も続いています。また、国連はキリスト教徒が多数派のアメリカの財力によって事実上運営されており、当然主導権もアメリカが握っていますし本部もN.Yにあります。その為アラブ諸国やロシア等の反米諸国は国連を完全に無視している状態です。従ってパレスチナアラブ諸国が国連にエルサレムを任せる事に同意する可能性は低いでしょう。国連は信用出来ない、エルサレムは自分達の力で取り戻すしかないと考えテロを繰り返している状態です。しかし現実的にパレスチナイスラム勢力が武力でイスラエルに勝てる見込みは少ないと考えられますし、かといって特定の国が仲介して収まる状況ではないので、やはり国連が動くしかないでしょう。国連の幹部にイスラム教を含め多様な宗教的背景を持つ人材をより多く迎え入れ、アメリカ頼みの財源を見直すなどして欧米以外の国々から信頼を得られるように組織改革を行い、その上でエルサレムの帰属についてパレスチナイスラエル双方と建設的な和平仲介交渉を行ってくれたらと思いますね。国連がアメリカから独立出来れば中東紛争だけでなく世界のより多くの地域で仲介役としての役割を果たす事が出来るのではないかと思います。